決まったら考えるよ。

思いついたことそのまま書く。髭剃り、読書、仕事、考えたこと、調べたことを備忘録代わりに。慶應通信で大学生もやっています。

経営理念という名の宗教、布教及び浸透について

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 以前、「我が社の経営理念を血液のごとく隅々まで行きわたらせ、また、浸透させるにはどのようにしたらよいか考えよ!」というありがたいレポート指示を頂いたことがある。ちなみに僕が書いたそのレポートは不合格だったが、個人的には間違っていたなんてこれっぽっちも思っていないのでここで毒を吐いておくことにする。



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経営理念とは

経営理念の考え方・つくり方

 そもそも経営理念とはいったいなんなのか。

経営者の経営哲学や信念、行動指針や目的などを明文化し、その企業が果たすべき使命や、基本姿勢などを社内外に向けて表明するものである。特徴として、経営者が変わったとしても、長期にわたって受け継がれる不変的・持続的なものであるほか、抽象的・規範的である事などが挙げられる。企業のあるべき姿や、理想像である経営理念を、おかれている環境や利用できる経営資源等を加味して具体化したものが、経営戦略やビジョンである。

経営理念 - Wikipedia

企業が目指す「理想」であるということらしい。素晴らしい。その企業はおそらく「法人」やら「経営者」が動かすものであって、誰かの想いが詰まっているってこったな。で、それを実現する為に企業経営を行っていると。ホントかよ。金じゃないんかい、と思ったけど今回は言わないことにしておく。

なぜ浸透せねばならないのか

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 経営理念の浸透、つまりその目標を全員に浸透させねばならない理由は何なのか。それはおそらくベクトルを合わせて同じ方向見て仕事しようぜ!足引っ張り合いとか無しな!的な感じなんだろう。だからこそ浸透させねばならない、というのは良くわかる。だがここで現実世界の経営理念に目を向けると、なかなか難しい問題に直面する。

リクルート:自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ


アマゾンジャパン株式会社:地球上で最もお客様を大切にする企業であること


株式会社 鳥貴族:焼鳥で世の中を明るくする


株式会社壱番屋:ニコニコ・キビキビ・ハキハキ


「理念」であり、「目標」ではないのだから当たり前なのだろうが、とにかく抽象的なのだ。実際にこれを実現する為にどういう行動を起こせば良いのかがまるでわからない。だからだろうが、会社によってはこの下に「行動理念」や「社是」といったものでブレイクダウンして『多少は』具体的にしている企業もある。というかウチも行動理念があるからそのひとつ。そしてそのブレイクダウンされた行動理念やら何やらが作られる理由は、「下々の者にもわかりやすくする為」である。しかし…このココイチの経営理念はもはや行動理念なんじゃなかろうか。経営を通じて実現するのが「ニコニコ・キビキビ・ハキハキ」って…人材改造ちゃうんかい(;´Д`)

ここで気付く、ある共通点

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 壱番屋さんの経営理念は僕には理解できないけれど、カレーは大好きだ。そしてこのお題で書き進めるには実は都合が良い。あるものとの共通点を感じるのである。そのあるものとは、宗教である。

宗教(しゅうきょう、英: religion)とは、一般に、人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする観念であり、また、その観念体系にもとづく教義、儀礼、施設、組織などをそなえた社会集団のことである。 -wikipedia 宗教

wikiの要目から見ると「共通点?」となってしまうが、後半に着目してほしい。「その観念体系にもとづく、教義、儀礼、施設、組織などを備えた社会集団」というところが会社にそっくりに見えるのである。会社の経営理念が「教義」であり、儀礼が「行動理念」、施設は「社屋や店舗」で、組織が「会社組織」といった具合。多少乱暴な結び付け方だけど、経営理念の浸透方法を考えるにはこれ以上ない類似ケースになりそうでしょ?

宗教の浸透方法とは

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 前段までで、『会社って宗教じゃねーの?wwww』という乱暴な仮説を立て終わったので、その仮説に則って今回のエントリ目的である「経営理念を浸透させる為にはどうすれば良いのか」ということに言及していきたい。ということで一般的な宗教の成り立ちを考える。

  1. 開祖が出現し、その宗教における究極の原理や真理を思いつくに行き着く。
  2. その真理に共感する人間(信者)が現れ、その共感した人間が布教活動を始める。
  3. 布教活動はまた誰かを共感させ、新たな信者を生む。
  4. そしてその信者による布教活動が発生し、加速度的に信者が生まれていく
  5. 信者が信者を生み、その真理が世の中を満たす。

こんな感じでしょうか。布教活動の経過において、その布教活動をより一層簡便的に、かつ、的確に行う為に真理の文書化が行われた結果「経典」が生まれたり、布教活動がうまい人はその宗教組織の中で評価されて「大司教」になってみたり、周囲の人間が須らく同じ宗教に属している集団の中では、その宗教の真理から生まれる行動理念のようなものに反することを許さない「暗黙知」が生まれ、従わない、従えないものを排する「追放」「迫害」なんかも生まれるでしょうね。で、いずれ「他人や他者によって律される『他律』的な概念によって制御される集団」が宗教組織として確立されていく…と、こんな感じでしょうか。

そして会社に置き換える

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※社会の荒波に揉まれる社会人になったばかりの新入社員たちのイラスト

では、今度は会社に置き換えて、会社の成り立ちから拡大に関して考えてみる。

  1. 創業者が出現し、創業者が「やりたい」と思うことで商売を始める。
  2. 商売を拡大していった結果、創業者だけでは商売が回り切らないので、協力者を募る。
  3. 創業者の「やりたい」と思うことに対して共感する人間が協力者となり、また拡大がなされる
  4. さらなる拡大に「やりたい」という創業者の想いによる人間だけでは当然回り切らず、報酬を拡大することで人材を獲得する。
  5. 人材が獲得され、さらに商売の規模は拡大し、創業者の「やりたい」が実現されていく。

と、万事順調にいって事件も起こらなければ会社はこんな感じで大きくなっていくんでしょうか。創業者の想いは「経営理念」として会社の中枢に居座り、創業者の信を得て仕事を続ける人間は「役員」や「部長、本部長」という役職を得て組織を形成し、利益の還元がなされていく。そしてその組織において利益を自己に還元される為には評価されなければならず、評価される為には「こうしなければならない」という基準が生まれ、基準に沿わない、沿えないものは「降格」や「降職」され、組織から排されていく。そしていつしか「経営理念ではなく、『自己への利益還元(報酬)』を目的としてその組織に評価される為に働く集団」が会社組織として確立されていく…と。

本日の落としどころ

話に「オチ」をつける技術

 宗教と会社はそっくりです。そう僕は思いました。だから、「経営理念を浸透させたい!」というのであれば、熱心な布教活動を行えば良いだけです。とはいっても、品質の低い布教活動は品質の低い信者しか産めません。品質の高い布教活動を行う為には、「創業者たる経営理念の作成者が布教活動を行う」ということを実施すれば良いだけだと思います。そもそも経営理念の浸透をせねばならん!なんて思っているほどの規模の会社であれば、創業者やトップが実務しなくても回るでしょう。というか経営トップのメイン業務はこれでしょう。それを経営幹部ですらない、課長や係長クラスにやれって言っても無理ですよ。評価されたい、給料が欲しいからこそ仕事をしているのであって、経営理念を実現したい!と思って仕事をしている訳じゃないんだから。

あくまで個人的意見で、僕がねじ曲がっているだけなのかもしれませんが、ひとつの想いとして置いておく。