決まったら考えるよ。

思いついたことそのまま書く。髭剃り、読書、仕事、考えたこと、調べたことを備忘録代わりに。慶應通信で大学生もやっています。

仕事は楽しいかね?

仕事は楽しいかね? (きこ書房) デイル・ドーデン 野津智子 訳(2001)

仕事は楽しいかね? (きこ書房)


雑なあらすじ

  • 冴えないけれどそこそこ優秀なサラリーマンが主人公
  • マックスと出会い、話し、仕事への想いが変化していく
  • 「試すこと、試し続けること」の重要さ。

雑な感想

 よくある導入。冴えないけれどそこそこ優秀なサラリーマンに話かけた変わり者の老人は、大勢の実業家や政治家、企業のトップがアドバイスを求めるような発明家、起業家だった――――。というヤツ。ラノベかよ。

 背景設定はともかく、書かれていることは毎日仕事に出かけ、毎日疲れ果てて帰ってくるサラリーマンとして読むと「( ゚д゚)ハッ!」とさせられる文が多い。また、「あー、それはわかってるんだけど…ねぇ。辞めてくれ心が痛むw」といったような痛烈な文も存在する。そして、「試すこと、試し続けること」の重要さ、それを続けることの難しさと簡単さ、中ほどまで読んだ頃には老人の言葉の先が、主人公の嫌味な突っ込みと変わっていくその様が楽しくてサクサク読めた。

 単なる自己啓発本だろ?むかーしヒットしたから時代遅れだろうに。なんて思いながらPrime Readingでタダで読ませて貰ったけど、良い収穫だった。



気になった言葉たち

老人マックスの「仕事は楽しいかね?」に対する主人公の回答

「私はいま三十五歳です」

そう言って、話を始めた。

「勤め出して、ほぼ十五年になります。この十五年の間に、何を誇れるようになったのか。何を達成したと言えるのか。私に言えるのはこれだけです。」

『そこそこの給料をもらってる』

いったい何がいけないんだろう。私は真面目に、一生懸命働いてる。仕事だって、手際よくきちんとこなしてきた。なのに一向に出世できない。そのことに不満を漏らしたとしても、こう言われるのが落ちです。『仕事があるだけいいじゃないか』黙って感謝しろって?それじゃまるで、生きているというのはまだ死んでいないということ、と言わんばかりじゃないですか」


 老人マックスの「仕事は楽しいかね?」という質問に対して主人公がぶちまけた憤懣(ふんまん)。おそらく世のサラリーマン、それも社会的には「そこそこうまくいっている」というサラリーマンの心でくすぶり続けてる感情を代弁したシーン。導入でこんなセリフ用意するなよ…もう自己投影しちゃって読みたくて読みたくて仕方なくなるじゃないか。


”適切な時”とか、”完璧な機会”なんてものはないということ。

一か八かの賭けをしないなら、チャンスなど一つもない

 平凡である、出世が出来ない、報われたい、そう思うのであれば人は懸命に、より良くなろうと、常に違った自分を目指さなければならない。そしてそれは「この場で」「ただちに」始めることが重要だ。宝くじだって買わなきゃ当たらない、生きていながら「試す」ということをしないのはチャンスを捨て続けているということ。という老人マックスの言葉。

 宝くじ買わなきゃあたらないってのはそらそうで、それを仕事や生き方に例えると「いやいやそんなんと一緒にするなよww」と感じたが、よーく考えてみれば納得できる部分もある。

 そしてこの本のうまいところは、「チャレンジという言葉を使わず、『試す』という言葉しか使っていない」ということ。チャレンジなんていう手垢のついた、落としたら誰の者なのかわからなくなるようなありきたりの言葉なんかよりずっと軽くて、ずっと受け入れやすい。これは翻訳した野津智子さんのセンスなんだろうけど、凄い。これからは「もっとチャンレジしてみたら?」じゃなくて、「試してみれば?」という言い方で他者と接してみようかな、と思った。

まとめ

これまた2~3時間で読破出来る程度の文章量で、とても読みやすかった。そして主人公の置かれた境遇に自分を投影しすぎて、なんだかこのそんなにつらくないけど本当にこのまま仕事してていいのかなぁなんていう日々の憤懣解決を求めて3回も読み通してしまった。結果何か僕が楽になったことはないし、何も解決はしていないけれど、なんだか不思議な読了感だった。


仕事は楽しいかね? (きこ書房)